ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

スマートフォン表示用の情報をスキップ

非核平和都市宣言

[2019年8月1日]

ID:985

 世界の恒久平和は、人類の共通の願いである。

 とりわけ、世界で唯一の核被爆国に生きる我々は、再びこの地球上に「広島」、「長崎」の惨禍が繰り返されることのないよう強く望むものである。

 印西市は、戦後50年目の年に当たり、核兵器がこの地球上から全て廃絶されることを願い、世界の恒久平和を確立するため、ここに「非核平和都市」を宣言する。

(平成7年10月11日宣言)

平和の鐘の写真
平和の鐘の写真(裏面)

『印西平和の鐘』は、重要無形文化財保持者「人間国宝」故香取正彦氏がご尊父秀真氏の出生地印西への記念として、生前制作に取り組んでいただき、平成3年2月に、故香取正彦氏のご遺族より寄贈を賜りました。

この鐘は、日本国恒久平和の象徴「広島平和の鐘」と同じ大きさのものです。

鐘の正面には、故吉田茂首相の筆による「平和」の二文字が刻まれ、撞座の左右には瑞鳥が描かれ、裏面には「印西町の為に」と刻まれています。

【仕様】青銅製 高さ:76センチメートル 口径:45センチメートル 重量:140キログラム

製作者「香取正彦氏」について

 この鐘を制作されました故香取正彦氏は、日本近代金工界の権威となった香取秀真の長男として生まれました。父秀真は印西市船尾の出身で、昭和28年にはその功績により、文化勲章を受章されました。

 鋳金家香取正彦氏は、父秀真の偉業を継いで優れた作品を作り出され、特に150鐘をこえる梵鐘づくりに精魂を傾けられ、昭和52年重要無形文化財保持者『人間国宝』に認定されました。また、平成2年12月には、現代金工界に大きな影響を与えた同氏を記念して、『香取正彦賞』が創設されました。

略歴

明治32年 香取秀真の長男として東京に生まれる。
大正5年 絵の道を志し、太平洋画会研究所に通う。
大正14年 東京美術学校鋳造科卒業。
昭和3年 第9回帝展で「魚文鋳銅花瓶」初入選。
昭和5年 第11回帝展で「鋳銅花器」特選。
昭和6年 第12回帝展で「鋳銅蝉文銀錯花瓶」特選。
昭和7年 第13回帝展で「鋳銅金銀錯六万盤」特選。
昭和25年 父秀真の喜寿を機に、父子共銘「平和喜の鐘」の制作を開始する。
昭和28年 第8回日展出品の「攀竜壺」が、日本芸術院賞受賞。
昭和29年 父秀真の逝去により「平和喜の鐘」の制作は終わり、「平和余韻の鐘」として制作を続ける。
昭和38年 成田山新勝寺梵鐘を制作。
昭和39年 広島原爆悲願の梵鐘を制作。
昭和42年 広島原爆記念日使用「広島平和の鐘」を制作。
昭和52年 重要無形文化財保持者『人間国宝』に認定される。
昭和60年 岩波映画「世界に響け平和の鐘」放映される。
昭和62年 日本芸術院会員となる。
昭和63年 11月19日逝去。

お問い合わせ

印西市役所総務部総務課行革推進係

電話: 0476-33-4413

ファクス: 0476-42-7242(代表)

電話番号のかけ間違いにご注意ください!

お問い合わせフォーム