[2026年9月7日]
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かつて印西市域で盛んに行われていた天王さまも、現在神輿や太刀の引廻しを行っているのは、古新田、小林、中根、竜腹寺、平賀、船尾の一部など数か所を数えるだけです。
行徳・下曽根地区のように神輿を洗い浄めて神官の祈祷をうけて、御札を家々に配るという例もあります。
古い形を残す竜腹寺地区の八坂神社の祭礼、天王さまについて紹介します。
毎年7月14日に行われた天王さまは、参加する子どもたちや世話人の都合から、7月の第2土曜日の午後に催されています。その1週間前の休日に、子どもたちは区内の農家をまわり稲藁を集めます。それが終わると、前年使ったままになっていた太刀を引き出して川に浮かべ、太刀から〆縄を外して洗い浄めます。
太刀は杉の木を日本刀の形に削ったもので、小学生が担ぐ小太刀(約2.4m)、中学生が担ぐ中太刀(約3.3m)、大人が担ぐ大太刀(約4.5m)の3本があります。
祭りの当日、世話人たちは神社に集まり、稲藁で直径5~6センチメートルの〆縄を作り、太刀に巻きつけます。こうして作られた太刀は神官のお祓(はら)いを受け、神官、世話人に先導され、笛、太鼓を供に集落の家々を廻ります。庭先でワッショイ、ワッショイの大きなかけ声とともに太刀を大地に叩きつけます。終わると祝儀をもらい、次の家に向かって巡行します。
大太刀と笛、太鼓は、京都祇園祭の御旅所を模した数か所の宿に直行します。宿で合流した3つの太刀は、引きあったり、頭上に高く差し上げて前後左右、上に下に押しあったり、『もむ』という激しい動作をくり返し、時を見はからって宿に納められます。宿からは酒やジュースなどの飲みものや菓子、果物などの接待を受けます。
平安時代の中頃、都を襲った疫病の猛威に対し、朝廷が諸々の神仏に命じて行わせた加持祈祷のうち、祇園社の神事が最も霊験あったとして、祇園社は一躍天下に知られるようになります。京都の主要な神社に格付けされ、全国的に信仰が広まり、勧請されました。今に伝わる各地の祇園祭はその神事の様式に倣っています。
京都の八坂神社に祀られていた社は江戸時代まで、祇園社と呼ばれていましたが、明治維新による神仏分離により所在地の名をとり、八坂神社と称することになったと多くの史書は伝えています。下総国の江戸時代の「村明細帳」には八坂神社、または牛頭天王社と書かれています。祭神は素戔嗚尊、またの名を牛頭天王と言います。素戔嗚尊が八岐大蛇の尾から取り出した草薙剣の威力と素戔嗚尊の粗暴な力を借りて大地を浄め、諸々の悪疫を退治できると信じられ信仰が広まりました。祇園社ではなく天王様と呼ばれている由縁です。木太刀の遺存、伝承、文書などから推定すると、昭和初期には印西市域の25前後の集落で行われていたようです。
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