[2026年9月7日]
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江戸湾に注いでいた利根川は、元和元年(1621)から承応3年(1654)にかけて、銚子へと流路を変更する工事が行われました。江戸周辺の水運網の形成を図ることや、江戸を水害から守ることなどが理由とされています。しかし、結果として、印旛沼や手賀沼周辺では利根川による洪水の被害を受けるようになりました。
明治になっても洪水の被害が続き、特に明治29年(1896)は木下付近で堤防が決壊し、一気に印旛沼まで洪水が達しました。そこで、明治33年に利根川の改修工事が佐原より下流で始まり、明治40年には取手から佐原までの工事も始まりました。明治43年に歴史的な利根川の大洪水があったため、堤防の高さを計画より1m高くしました。この堤防工事では木下小学校近くの庚申山を切りくずし、その土を馬にひかせたトロッコで堤防まで運びました。また、堤防工事にともない、木下河岸の旅館や商店などは大正2年ころに移転し、木下駅前に新町通りを形成しました。
そうしてようやく昭和5年(1930)に、山のように大きな堤防ができました。この間、利根川の逆流を防ぐため将監川を締め切りました。
さらに昭和14年からは放水路をつくって利根川の水を東京湾に流す工事が始まりました。この放水路は湖北村(我孫子市)を起点にし、途中で手賀沼や印旛沼の水を集め、今の谷津干潟付近にいたるものでしたが、戦争が激しくなったため、昭和18年に中止となりました。
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