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手賀沼

[2026年9月7日]

ID:21994

手賀沼

手賀沼は干拓前の昭和30年(1955)ころは、面積10㎢、最大深度2.9mの沼で、「つ」の形をした沼でした。印旛沼と同じように沼周辺は頻繁に洪水に見舞われました。江戸時代に3回干拓が試みられたことも印旛沼と同じでした。

江戸時代に手賀沼では利根川の出水時に逆流を防ぐため、堅い木で水門をつくり、沼の水を排水しました。この水門は利根川と1m程度の落差があるため、手賀沼と利根川との船の出入りはできなくなりました。水門は明治になってレンガと鉄のつくりに変わりましたが、ひとたび利根川の洪水があると、水門が破れて逆流することはよく起こりました。排水機で手賀沼の水を利根川に落とし、沼を干拓する計画が大正元年に千葉県から出されましたが、地元町村の負担が大きいことから実現しませんでした。

手賀沼の干拓事業が進むのは戦後になってからでした。昭和31年に農林省によって手賀沼排水機場がつくられました。これによって、昭和43年までに手賀沼の4割は干拓され、沼は二つに分離されました。さらに排水機能の強化のため、昭和59年には建設省(国土交通省)の北千葉導水路事業の一環として布佐(我孫子市)地先に第1機場が設置されました。

さて、手賀沼排水機場を建設中の昭和30年3月15日、地下7mのところから掘削機で稲荷の御神体が掘り出されました。この稲荷はかつて利根川の堤防上にまつられていていましたが、明治23年8月24日の利根川洪水で堤防が決壊し、行方不明になっていました。この洪水以後は当地での堤防の決壊はなく、これは御神威の賜とされ、掘り出された稲荷は、干拓稲荷としてまつられるようになりました。


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