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万九郎地蔵

[2026年9月7日]

ID:22151

万九郎地蔵

万九郎地蔵の由来について、次のように伝えられています。

それは、寛保2年(1742)のことでした。旗本大久保万九郎の叔父の斉次は、日頃の行動が悪いため香取郡内の万九郎の領地に預けられていましたが、行動は改まりませんでした。

そこで、江戸に連れ戻すために斉次を捕らえ、夜更けに船で木下河岸に着いたところで逃げられてしまいました。小林村で斉次を見つけ、捕らえようとしましたが、もみ合いとなり、脇差を奪われた家来は負傷し、斉次は即死しました。

この出来事はすぐさま小林村からの淀藩の大森陣屋に届けられ、斉次の遺体は小林村に預けられました。

知らせを受けた万九郎家では、幕府に叔父の名前を届けるのは不都合と考え、家来にすりかえました。家を守るためでした。

万九郎家は500石の旗本で、香取郡の荒北村と本矢作村(ともに香取市)に領地がありました。叔父の斉次は正経ともいい、800石の旗本三浦家の養子となっていましたが、養父との折り合いが悪かったことから、子どもとともに万九郎家に帰されていました。

斉次の遺体は万九郎家の家来が引き取り、小林村の光明寺にある子育地蔵の側に埋葬しました。

子育地蔵は享保12年(1727)に建てられたものですが、いつしか万九郎地蔵と呼ばれ、風邪や咳に効き目がある地蔵として信仰されるようになったといわれています。

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