[2026年9月7日]
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手賀沼の鴨猟の歴史は古く、嘉元・建武年間(1303~1338)には布施村(現柏市)でモチ縄猟が始められたといいます。天保2年(1831)に水戸藩の鷹場が廃止となってからは布施村を中心に浦部村や亀成新田など9か村で鴨猟が行われました。
干拓前の手賀沼の広さは現在の約2倍で、西側を上沼、東側を下沼と呼び、下沼が猟場となりました。沼中央の水面ではトリモチを塗った縄を水面に流して獲るモチ縄猟、岸寄りの真菰や葦原では網を仕掛けて獲る張切網猟でした。猟期は鳥が渡ってくる11月~2月で、その間の風雨のない闇夜に5日目ごとに行われました。布施の鳥見神社の境内で太鼓が打ち鳴らされると、これを合図に各浜では一斉にサッパ舟を漕ぎ出して網を張ります。合鴨などのおとりを置いて餌を撒き、後は舟を真菰の陰に隠して水鳥が網にかかるのを待ちます。網につけた鳴子が鳴ると急いでかかった鳥を外しに行きます。極寒の船上で一晩中待ち続けるので、厚着をしてアンカを抱いて待ったといいます。獲れた鴨等は仲買人を通して日本橋方面に出荷されました。
大正時代に最盛期を迎えた鳥猟も昭和になると干拓事業によって猟場が無くなり、姿を消していきます。発作の大杉神社の境内に建てられた「愛惜の碑」には、昭和31年(1956)、手賀沼鳥猟組合の名で、伝統の張網鴨猟ができなくなったことをを惜しみつつ組合を解散することを記した文面と100名を超える組合員の名が刻まれています。鴨猟がいかに手賀沼周辺の人々の生活を支え、また親しまれていたかを伺うことができます。
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