[2026年9月7日]
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昭和12年(1937)草深の土地利用について、船穂村長など周辺の町村長らが相談した中で、飛行場の建設が浮上しました。明治時代には、土地の一部が他村の人びとによって開墾が行われていたようです。
当時の県内飛行場の増設や、林銑十郎(陸軍大将のち首相)の仲介もあったといわれています。飛行場の建設は昭和13年ごろから始まり、勤労奉仕などによって昭和15年ごろには一部使用可能になったといわれています。
昭和16年4月には印旛地方航空機乗員養成所が開所しました。これは、航空機操縦士の委託が始まり、逓信省航空局の直轄養成制度となったためであり、仙台、米子(鳥取県)などに養成所ができました。資格としては、2等操縦士・航空士の取得ができ、軍の飛行学校に入隊することが義務となっていたのです。しかし、戦局の悪化とともに養成所から直接航空隊へ配属になってきました。
昭和17年6月には飛行場が一旦完成しましたが、直後に戦闘機用の滑走路を造ることとなり、朝鮮人労務者、兵士、勤労奉仕に動員された人びとによって、ようやく昭和19年に完成をみたのです。周辺の町村では布団などを供出することや、事件も多発したと住民は後に回想しています。
陸軍飛行隊第23戦闘隊が配置されましたが、目的は帝都防空にあり、B29爆撃機、艦載機などとの迎撃戦に従事しました。飛行場への空襲は何回もあり、昭和20年7月には防空壕が直撃されて7名も死亡するという惨事となりました。
戦後は、飛行場周辺は開拓地となり建物も事務所として使用されました。
跡地の一角である西の原公園に平成15年(2003)、「平和の碑」が建立されました。
その後、昭和24年から印旛少年院として使われました。少年院も昭和52年に廃止されています。
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