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松虫寺

[2026年9月7日]

ID:22279

松虫寺

摩尼珠山医王院松虫寺は、真言宗豊山派の寺院です。本尊には木造薬師如来坐像1躯を中央にして左右に3躯の木造薬師如来立像で、通称「七仏薬師」と呼ばれています。平安時代(794~1185)後期、藤原期の原容をとどめている造像で、昭和34年(1959)国重要文化財に指定されました。材質は榧材で一本造、小像ながら量感をよく表現しています。仁王門を潜ると正面に薬師堂がありますが、現在、本尊は隣の瑠璃光殿に安置されています。

寺には松虫姫伝説が伝わっています。奈良時代、天平年間(729~749)、聖武天皇の第3皇女に松虫姫(不破内親王)という美しい姫君がおられました。年ごろになって不治の病を患い、治療を尽くしましたが、重くなるばかりでした。ところがある夜、姫の夢枕に仏が現れ、「東国の坂東の地、下総萩原の出戸に霊験あらたかな薬師仏を訪ね、祈願されよう」とのお告げがありました。早速、姫は、乳母の杉自や従者を従えて旅を続け、この地の薬師仏の祠に辿り着きました。祠の側に草庵を結び、朝夕一心に回復を祈りました。これを見た村人も手厚くお世話をしました。そのお礼にと都で覚えた機織や裁縫、養蚕の技術を伝えたのです。歳月が過ぎて松虫姫の一念が通じ、不治の病も全快し、京の帝から迎えの使者が差し遣わされましたが、乳母にはこの地に残るように伝えました。さらに姫を乗せてきた牛も老いて帰ることができず、これを悟った牛は近くの池に身を投じ、後にこの池は「ウシムグリの池」といわれるようになりました。

姫の全快を喜んだ帝は、僧の行基に命じて七仏薬師を刻して献じ、彼の地を松虫と、さらに一寺を建てて松虫寺と名付けました。その後、姫は数奇な生涯を終えましたが、遺言により遺骨を分骨し、境内に葬られ、「松虫御廟」として伝えられ、側の下総型板碑には宝亀(770~780)銘があります。乳母の亡骸は「乳母塚」と、また、姫が用いていた杖は、境内に根付いて「お杖の銀杏」となっています。さらに松虫姫神社も祀られています。

寺には昭和60年(1985)県指定文化財の鋳銅孔雀文磬と昭和51年(1976)市指定有形文化財の鋳銅鰐口があります。

磬は、読経の時に打ち鳴らす法具で、年号などはありませんが、南北朝期(1336~92)の製作と見られます。縁は菱形で、子縁を伴い、八葉蓮華の撞座を中心に2羽の孔雀を高肉に相向かい合わせに鋳出しています。

鰐口は、中央に撞座、それを巡って内区・外区・銘帯を圏線で画しています。銘文に「天正拾三年(1585)乙酉二月廿八日松虫寺別当栄澄 鵜沢信濃守敏信(花押)丞使」とあります。

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印西市役所教育委員会 生涯学習部文化振興課文化財係

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