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南陽院と笠神城跡

[2026年9月7日]

ID:22396

南陽院と笠神城跡

南陽院及び笠神城跡は、小林城跡の南東1キロメートルの笠神の平野部の中の標高17mほどの独立した台地にあります。

天台宗南陽院は、天文14年(1545)没の原豊前守の位牌が所蔵され、戦国時代後半、千葉氏重臣原氏の内、本城本佐倉城(酒々井町)に詰めて印西地域に所領を持っていた原氏とみられます。

南陽院境内は、独立台地の北東部の小谷斜面に造られていますが、その背後を含む山全体が中世城郭です。規模は東西120m×南北300mで、空堀・土塁によって5つの曲輪に分けられます。主郭(Ⅰ)は南陽院のすぐ北の長方形の曲輪で、土塁で囲まれています。中央部のⅢ郭も土塁囲みで、西側には腰曲輪が造成されています。

その南のⅣ郭は小規模な段が連続する箇所で、自然の小谷地形に土橋状に残された部分の南にも段造成の部分があり、Ⅳ・Ⅴ郭は物見台的な機能が考えられます。

独立台地の周辺は、現在の地割りでも周囲を囲むような形が見られ、東側に「舟戸」の地名があることから、戦国時代には周辺は低湿地で水堀が巡り、旧利根川や印旛沼とつなぐ舟運起点があったこと、西側の住宅地は戦国時代後半以降使われる「根古屋」(城や家臣の屋敷地)の地名が残り、城下集落が存在したようです。小規模で簡易な構造ですが、佐倉原氏の本拠として、小林城とともに戦国時代後半に使われた城であることが考えられます。

また、南陽院は「印西大師」の結願寺の一つとして知られています。印西大師は弘法大師ゆかりの霊場を巡礼して豊作や家内安全を祈る「四国八十八ヵ所巡礼」を写して、印西市と白井市に置かれた八十八ヵ所の札所を巡礼し、現在は毎年4月1日から6日目行われています。享保6年(1721)に南陽院の住職臨唱法印の提案から始まったもので、利根川下流地域では最も古いものです。南陽院と真言宗の広福寺(師戸)・来福寺(平賀)を交替で結願寺としています。

お問い合わせ

印西市役所教育委員会 生涯学習部文化振興課文化財係

電話: 0476-33-4714

ファクス: 0476-42-0033

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